D. 無名舎
京呉服の問屋街にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造りの1909年建設の建物です。京町家の建築には、木、竹、紙、土、石 といった自然素材が活用されています。小袖や伊万里の食器など数々の生活工芸品をみることができるので、江戸時代から現代にかけての京都の商人の生活文化を知ることができます。京都の歴史を代表するこの町家ですが、近年は老朽化を理由に解体される傾向にあり、その数は減少傾向です。しかし、その深い趣と伝統に魅了され、最近は若者を中心にこの町家を改造し、カフェやホテルに転用する例が多く見られるようになりました。 現在は、都会をはじめ、住職近接がトレンドですが、昔の京都は職住共存を基本とする京町家のスタイルでした。ライフスタイルに適した様々な機能性と芸術性を兼ね備えた工夫が随所に凝らされています。そうすることによって、便利かつ心地良い暮らしを京の人々は実現してきました。「鰻の寝床」と呼ばれる典型的な京町家について見ていきましょう。まず、外観を見て柵のようなものがありますね、これは「駒寄せ」といって昔は人や馬を一定距離以上家に近づけさせないようにしたり、馬や牛をつなぐ場所としての役割を果たしていました。また、細くてぎっしり詰まっている格子は、採光の役割は勿論のこと、外を歩く人から家の中を見えにくくし、家の中からは外の様子が良く見えるようにするという防犯機能も併せ持っていました。
無名舎(吉田住宅外観)
それでは家の中を見ていきましょう。無名舎の町家の内部は、店舗、住居、土蔵とそれらを結ぶ2つの庭と、通り庭から構成されています。入口を入るとすぐにあるのは店舗スペースですが、作業や商談を行う半公共的なスペースでもありました。そこから奥へ伸びるのが通り庭と呼ばれる細長い土間で、現在の台所にあたり、家族や使用人が日常的に使うプライベートな場所でした。高い吹き抜けの天井には、煙を出すための高窓や天窓があり、採光の役割もはたしていました。
無名舎の間取り概略図
そしておもしろい役割を果たしていたのが坪庭です。坪庭は、部屋と部屋の間にある小さな庭であり、奥庭は、家の奥にある座敷に面した庭のことを指します。都市部にあっても四季折々の自然を楽しめる空間として整えられ、風と光を取り込むだけでなく、火災時の延焼を防止する役目も担っています。
坪庭
ところで、京町家がはじまったのは1000年以上前の平安時代に遡ります。平安京の時代、公家たちによって地方から徴用されてきた職人や商人を営んでいた人々が、都市住民として京都に定着するようになり、通りに面した屋敷地を公家たちから買い取ったことから始まりました。そこに小屋を造ったのが京町家の始まりです。通りに開いて商売を行う京町家の原型は、やがて軒を連ねて建ち並び、通りは単なる通行の目的のみならず、コミュニケーションの場として役割を持つことになります。つまり、 通りを挟んだ両側町というコミュニティを形成していきました。一方、例えば図に示しているのはバルセロナの居住空間ですが、欧米の都市では一般的に通りに囲まれた内側にコミュニティが形成されていました。人通りに面する通りに店を開いた方が当然売り上げも伸びるので、そのような形に進化していき、京町家に挟まれた両側町の都市住民の生活は、ますます豊かになっていくことになります。勿論、通りの内側から外側にコミュニティの場を移すわけですから、略奪といった犯罪行為から身を守ることが必要になりましたが、集まって住むことで利益を共存していた都市住民は、個人で防衛するのではなく、お互い 費用や労力を共同で負担し、集団で防衛することによって個人負担を軽減していたようです。
町家
第2琵琶湖疏水(第2疏水)開削
第2疏水はその事業の中核として1908年に着工して1912年に完成しました。全線トンネルの疏水を第1疏水の隣に引くもので、第 2 琵琶湖疏水建設は、大津から蹴上までの全線約 7.4キロメートルを鉄筋コンクリートのトンネルで貫く大規模な工事でした。疏水の水量を増やし、発電所を新たに建設することによって水力発電の設備も強化しました。これによって、発電量は当初の約4倍まで強化されることになり、この電気を使うことによって、道路拡築によって新しく広げられた幹線道路に市電を走らせました。
当時、市内を走っていた車両
舟運についても非常に活況であり、利用がピークを迎えた大正時代には1日150隻もの船が往来していました。しかし、疏水を利用した舟運も、陸上交通の発達に伴い、鉄道をはじめとする陸上交通が飛躍的に発展したこともあり、舟運は徐々にその数を減らし、大津・京都間の足としての機能は失われるとともに、貨物輸送が主体となっていきました。 1930-40年代には舟運の貨物量はさらに減少し、1948年に蹴上インクラインが休止することになります。舟運事業としては長期にわたり中断してしまいますが、電力事業については、引き続き重要な施設であり、改修をして老朽化対策を施しながら現在に至っています。
哲学の道
一方、近代に入ってくると、現役施設である琵琶湖疏水の歴史的な価値についても注目されるようになってきました。その流れの中で、哲学の道をはじめとする疏水分線沿線の整備や蹴上インクラインの復元などが行われ、1983年には水路閣及びインクラインが京都市の史跡に指定されました。そして、地元が強く舟運事業の復活を望んでいたこともあり、1951年にいったん途絶えていた琵琶湖疏水の舟運が67年ぶりに復活し、京都を訪れる人々の賑わい拠点として新たなスタートをきることになりました。
現在の琵琶湖疎水におけるツアー